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June 21 右往左往-2「リーチ」の店主、西岡利一さんは清水公照さんと同年配。
絵が好きで、将来家督を継ぐ約束でフランス留学したが、体を壊して帰国。 入院中に看護婦さんと恋仲になり、僅かな身の回りものと本を持って駆け落ち。 働こうとしたが「お坊ちゃま」育ちで続かない。 しかたなく、持ってた本を売り始めたのが古本屋の始めと聞いた。 本の装丁に詳しく、表紙に錦や古代布を使っては職人を泣かせた。
本の印行の印判も、消しゴムを削って手作りしたり、 本紙に特殊な和紙を探して使ったり、 三年間で装丁のことをさんざん勉強させられた。 味のある書は公照さんとも通じ、墨の4色刷りなどもやらされた。
絵描きとしても気心が合うのか、二人の長話につきあわされたが、 この三年間に、 お二人に教わったこと、 諦めないこと、 断らないことが 現在の私を形作っていると思う。 色んな紙を見せられた。
色んな墨を擦らされた。 色んな絵の具の匂いを嗅いだ。 今では到底出来ない貴重な体験をし、財産となった…
私の知ってる限りでは、「恋仲」「僅かな身の回りもの」「駆け落ち」の言葉が似合う唯一の方でしたねぇ~
今で言えば「ライトノベル」の走りと言ってもいいこれら画帳10巻も
「愚」「にほん」「桃紅李白」「右往左往」を残してあげてしまった。 10巻そろってれば大変なお宝だったろうにね(^。^) April 14 右往左往この本は元東大寺の管長、故清水公照さんの旅日記です。
経本作り24ページの絵日記と100ページの随筆集から出来ています。 私が大阪のナニワ印刷にいたときに作りました。 制作依頼を受けたとき、上司に相談したら無理だといわれた。
あきらめの悪い私は、製版・印刷・製本の担当者と二週間にわたって協議。 絵日記は9~11色単独で抜き出し黒だけは2色の13色刷りとする事が決まりましたが、 それだけの多色刷りに耐えられる和紙が無い。 金沢の手漉き和紙で12色刷った話を聞き、早速金沢に行き職人さんと話をして、 一週間後に見本を50枚届けてもらうことになった。 試し刷りを公照さんに見て頂くと、
それまでカラーの4色分解しか見ていなかったので大層喜んで頂き、 画帳の表紙に絵を描きたいと仰った。 急遽、表紙は鹿皮に変更し、四方金で京都で製本することになった。
300冊限定、売価5万円、阪急古書の町の「リーチ書店」での限定販売となった。 出来上がるまでの三ヶ月、トラブルの連続だったが、
305冊を東大寺に持ち込み、公照さんが一日で全ての表紙を書き上げた。 そのスピードとパワーに驚き、次々と湧いてくるイメージに感動を覚えた。 多色刷りの画帳と洒脱な随想が評判を呼び、この本は一ヶ月で完売となった。 その後私の手元に届いたのがこの本、ナンバーは0番、感謝状が添えられていた。
毎年一冊、10冊まで続けたいと書いてあった。 私が広島に帰郷するまでに3冊の0番が手元に残った。
残りの7冊は自腹で購入したが、最後の10冊目が発刊された時、 公照さんから最後の0番が届き、未だに覚えていてくださったのかと感激したのが懐かしい。 諦めない性格はこの頃に作られたのかもしれない… March 30 ターニングポイント私の育った小学校には、戦前の建築としては珍しい鉄筋コンクリート造りの校舎が残っていた。
原爆にもめげず、石造りの日銀と共に廃墟の街に聳えていたらしい。 5年生の頃、流行った遊びが「狐の野球」。テレビでやっていた「コンバット」を真似た遊びだが、戦争物の名前を使う事が憚られたため、コンで狐・バットで野球と呼び変えたのだ。
みんな手作りの「銃」を持ち、大きさによって射程と球数を決め、二組に分かれて敵陣を目指す。 大きい銃は射程が長いが、次弾を撃つまでに大きな声で五つ数えないといけない。場所はばれるし機能性に欠けるが、木っ端とパイプを組み合わせて色も付けたりした力作である。 口で「バーン」と言いながら「○○ちゃん、死んだ」といえば、その子は死んだ事になり以降の判定役となる。 ゲームより苦労し作り上げる工作の面白さと、みんなに披露し「すっげ~」の声を聞くのが主な楽しみであった。 ある日、その遊びが担任の先生にばれた。
次の日、全ての授業が中止となり、被爆建物である旧校舎の地下教室へと連れて行かれた。 薄暗い湿った地下教室。 「ここで、あなた達と同じ小学生が何十人と死にました。」 「被爆後、この校舎は病院として使われ、毎日何十人と死んでいきました。」 「私は主人と息子を戦争で亡くし、残った家族も全て原爆で亡くしたんです。」 と先生が静かに話し出した。 「この校舎の壁には、尋ね人の落書きで一杯でした。誰も消す事が出来ず、今では板を張って保護してありますが、写真があるので見に行きましょう。」 それでクラス全員、原爆資料館・原爆ドームへと連れて行かれた。 道すがら「ここには私の友人が住んでいた。」「ここは魚屋だった。」等々と話す先生。
改めて被爆直後の写真を見ると、
廃墟だ… 誰もいない。 存在した証拠も記録も何も残っていない。 日記も写真も服も茶碗も… 現在の平和公園しか見た事のない私たちに、
ここには人が暮らし、笑顔や包丁の音などの生活音に溢れていた事を知らされた。 自分だけ離れた工場に行っていたために残された悲しみ。 主人や息子を戦いの場に送り出してしまった悔恨。 泣き濡れて、立ち直れる事ができなかった数年間。 そして、二度と過ちを繰り返さないと誓い、教師となった事。 「どんな事があっても、人が人を殺してはいけません。」
「どんな理由をつけようと、人に人を殺させてはいけません。」 嗚咽しながら話す先生… クラス全員が泣いた… 私の息子も高1となった。 そろそろ伝えなければならない。 それが私の義務だから… February 04 伝説のロックバンド復活!伝説のロックバンド「カンフル罪ライブin広島」を満員にする実行委員会のお願いです。
チケット希望がボチボチありますが、まだまだ余裕があります。
ライブに言って楽しい一夜をすごしませんか! 同級生のみんなが来てくれることはもちろんですが、
より多くの人に来てもらいたいと思います。 その為皆さんにお願いです。 職場の人とか、知人、愛人、 飲み屋の綺麗どころに案内する、 等々をしてもらえませんか? 会場に来るのも一人ではなく、
知人、痴人、奥さん、彼女等 と一緒に来てもらえたらと思います。 みんなの力で満員の会場でのライブをやらしてあげましょう。 H.Y君が美女を連れて来るとの噂もあり・・・・・・
チケットがいる人は私か、ママプロジェクトまで連絡お願いします。 January 27 ささやかな楽しみが…独身の頃はワイン。
結婚してから自家製梅酒とワイン。 子供が生まれてからは梅酒ともらい物のビール。 学校に行くようになり梅酒。 それが今や焼酎。 私の晩酌は変遷してきた… 機嫌良く飲んでいたら「三笠フーズ」の事故米のニュースが流れてきた。 「宝山」汚染米混入のため回収… まさに私が飲んでいたのが「宝山」!
思わず吹き出しそうになったがニュースに聞き入る。 開けたての「宝山」も交換してくれるのか…
それとも泣き寝入りか… よく考えてみると、 同じ米とはいえ、何故食料品と工業用のものを同じ業者が扱えるんだろ? 食料用は農水省管轄で米屋さんが扱い。 糊は経産省管轄で、業者を変え同時に扱えなくすれば良いだけのこと、
そうすれば偽装も混入なんて事はあり得ない。 これはきっと農水省の利権が絡んでるぞ~~
何のために96回も検査に行ってたんだ!
農水省の役人に汚染米焼酎を飲ませてやれ! 「三笠フーズ」の社長に刑務所で毎日汚染米を食わせろ!
ショックと怒りで我を忘れてしまいました…m(_ _)m |
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